ビジネス奮闘記

皆さまにとってAOM Visa Consultingが身近なサービスになるようにこのブログでは少しやわらかめのトピックスもふまえて発信していきたいと思います。 オーストラリアやニュージーランド関連のほか、ふだんの活動や関心ごと含めてレポートします。 ご意見・ご感想などございましたらお気軽にメールにてお送りください。 AOM Visa Consulting Official Web site は こちらへ

2012年5月19日土曜日

オレンジと太陽 ~児童移民について~

4月から公開になっている映画「オレンジと太陽」をようやく時間がとれて見に行きました。 これは事実に基づいて映画化された話ですが、かつて英国政府により大量の児童が政府レベルでオーストラリアをはじめとする植民地へ強制移民させていた事実を相談者の話からソーシャルワーカーが見つけ、その後、オーストラリアにいる多くの残された人たちの家族探しへの支援などを地道に継続することにより、長い年月を経て、ついに社会的にも明るみになった・・・という歴史を丁寧に語っていました。

オーストラリアの移民政策は様々な暗い歴史ももちあわせていることは一般的にもよく知られている事ですが、私自身もこの児童強制移民という事実は、この映画が話題になるまで全く知らず、非常に驚きました。あらためて映画を見て、さらに驚いたのは、孤児院や恵まれない子供、そして親がその意志をもって施設に預けた子供ばかりではなく、親は何かの理由で、組織団体や教会関係に関わり、その後、ある時から、子供は既に施設に預けられた、そして幸せにくらしている、などと言われ、実際、子供のゆくえも知らない状況があり、子供は子供で、様々なルートを経て、親が孤児院に預けた、オーストラリアはよいところだ、などと言われて、大量の児童が輸送されていた、ということです。 つまり、親は親として、そして、子は子として、互いに、なぜそのようなことになったのかわからないまま、オーストラリアへ移民、という形で運ばれていってしまったことが多く発生していた事実があり、その数は1920年~1970年代までになんと13万人にも上ったということです。 運ばれていっただけではなく、現地においての強制労働や暴行なども多く受けていたという悲惨な状況です。 結局、調査していく上で、これらは組織的に、しかも教会団体や児童支援団体が主軸となり、そして政府レベルで、英国政府&オーストラリア政府という合意のもとで実施されていたことがわかり、2009年にようやく正式にオーストラリア政府が、2010年にイギリス政府が謝罪した、ということで、明るみになるまでに非常に長い時がかかったということです。 

なぜこのような政策がとられたのか、あらためてオーストラリア移民政策の歴史を少し考えてみました。
一般的によく知られているようにオーストラリアはそもそもイギリスの植民地となり、その後、流刑者たちを移民させたところから歴史は始まります。ヨーロッパからすれば、非常に遠い、アジア圏内にあるこの国は未知数ではあるものの、まわりのアジア環境を考慮するがゆえ、植民地としてヨーロッパ文化を浸透させるべく、1900年代から本格的に「白豪主義」としての様々な政策がとられるようになりました。 

1880~1930年代ピーク ~1970年代
Stolen Generation  - 先住民アボリジニとの混血児の同化政策 

基本、先住民アボリジニを下に見て、自分たちの白人文化によって国を統制するために、アボリジニとの混血児を強制的に家族から離し、白人的教育を強制的にうけさせる政策をとりました。この事実は、別の映画「裸足の1500マイル Rabit-Proof Fence」 でよく描かれています。この映画もまたショッキングな内容で、こんなことまでオーストラリア政府はかつて実施していたのかとその時も驚いたものです。 

1938~1970年代
Forgotten Australia - 児童強制移民

別政策として、今回の映画になった児童強制移民政策です。これは、英国政府が主導で実施され、教会や慈善団体などを中心として(fairbridge society etc) 児童を組織的にオーストラリアへ移民させていたものです。時は上記の政策とほぼ重なっています。つまり、どちらも「白豪主義」を推進するべく、将来を担う児童たちを増加させ、オーストラリアにおける白人化を進めたかったのか、と想像します。特に、オーストラリアはヨーロッパと異なり、島国であるという点、そして何よりもアジア圏にあり、ヨーロッパからみれば、白人化するには、外からの流入することで増やす、ということしか考えにくかったのか、と想像します。この児童移民は3歳~14歳が対象で、特に7~10歳が主な年齢層だったようです。 それにしても、映画の中でのインタビューなどを聞くと本当に残酷な歴史が存在していたのか、とただショックです。

白豪主義は多くの批判を受けて1973年を機に政府によりに終結します。この後は、急速にシフトし、世界大戦後のアジア難民大量受け入れ、と今までの名誉挽回というべきほど、多文化主義へ政策変化していくのです。

今回の主人公になったマーガレットハンフリーズ女史によって設立された児童移民トラストのサイトを見てみましたが、その歴史は詳細にわたり、記載されており、あらためてその壮絶な歴史は重いものでした。今現在もこの活動を継続しており、今回の映画化により、社会的にもさらに認知されることになったと思いますが、これらの事実があったということを忘れず、今後も少しでも家族が再会できるような機会が増えることを祈ります。

オーストラリア政府のサイトには、少しだけ、これらの歴史について記載している文章がありました。記録や保存文書に関しての情報提供については協力的なように見受けられます。

~かなり長期間にわたり、この児童移民の事実は封印されてきましたが、特にアボリジニの同化政策以上に、世間には知られていなかったことはやはり、同じ、白人である英国政府との連携であったという点がスキャンダル的でもあり、もちろんしられたくなかった事実であると痛感します。

紆余曲折しているオーストラリア移民政策は、ある意味世界でもかなり特殊な国でありますが、多くの政策的失敗も認めつつ、現代においては、慎重に、かつ緻密に実践している状況です。 この実務を行うものとして、これらの歴史を心に刻み、日々謙虚でありたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿